映像の世紀 東京
シリーズの最終回は日本です。しかしここに出てくる「日本」とは、その国境線からして、いまの日本とは異なります。1920年代、日本放送協会最初のラジオ局東京放送局のコールサインはJOAK、大阪がJOBK、名古屋がJOCKなのですが、JODKがどこかご存じですか?現在のソウルです。朝鮮半島も「大日本帝国」の領土だったからです。
日本は周辺国を侵略し、植民地支配を強いた結果、複雑な「多民族国家」でもあったのですが、戦後の「日本像」からは、そうした膨張した国境線のイメージがすっぽり抜け落ち、日本列島だけが「日本」になっていきます。この回はもう一度時間の針を戻して、「大東亜共栄圏」の名の下に膨張しきった「日本像」を見せてくれます。
自国の近現代史を客観的に描くというのは、なかなか難しいことで、必ず偏狭なナショナリズムと衝突してしまうのですが、この番組では外国人のカメラからの映像を多用しながら、自画像を切り結ぼうとしています。
台湾と朝鮮半島を植民地化した後も「満蒙は日本の生命線」といって、軍が暴走して満州国を作り上げます。さらに「自衛のためにやむなく」と東条首相の下、太平洋戦争に突き進む日本。外国から見れば狂気としか見えませんし、「すべての戦争は自衛の名の下に始まる」という言葉がそのままあてはまります。
「大東亜共栄圏」に入ったインドネシアで、日本人に「バカヤロウ」と言われた話が出てくるのですが、この言葉は、現在の韓国や台湾、中国東北部(旧・満州)でも、人々の記憶に残っており、いったいどれだけの日本人が、現地の人にこの言葉を投げつけたのだろうと暗たんとします。
アジアを支配下に納めようとする日本に対し、「あなたがたは剣(つるぎ)のみに耳を貸す民族なのか」というガンジーの言葉が重く響きます。アメリカ太平洋岸での日系人の強制収容所に関して、「民主主義と平等のための戦争なのに、このような人種差別はおかしい」と自国の政府を批判する、雑誌「ニューズウィーク」の声を聞くと、どうすれば戦時においてなお、理性と良心を保つことができるのか、考えさせられます。